「茶坊たがわ」の歩み

オーナーの妹です。
ブログ開設にあたり、「茶坊たがわ」の今までを記します。
「茶坊たがわ」は郵便局を退職した義兄と姉の二人三脚で、築150年という木造の自宅を改装してオープンしました。
名札

のれん


こだわりのだしをベースにしたお料理は、TV(民放2局)・新聞・雑誌でもとりあげられています。
料理1

                 料理2


2007年6月29日の読売新聞↓
読売550

2008年5月に義兄が急逝した後、縁あって現在の場所、牟礼町にお店を移しました。
新しいお店では、好評の和食メニューを月曜・火曜ランチとして引継ぎ、洋食ランチ・スイーツなど新しいメニューにも挑戦しています!(新しいメニューはこのブログで順次紹介しますね
新生「茶坊たがわ」も4周年を迎えることとなりました。これは多くの写真ファンの皆様の支えによるものです。この場をお借りいたしまして心から感謝申し上げます。

義兄が最後に活けた「お生花」は逝ったあとも長く「茶坊たがわ」を守っていました。
そして今も…
花



💛スイートメモリーズ💛 高松町の「茶坊たがわ」

牟礼町の写真ギャラリーカフェとなる前、
高松町の「茶坊たがわ」の記憶です

201600001430多川

201600001428多川


201600001427多川

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201600001432多川

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201600001431多川

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201600001425多川

201600001424多川


2016年12月27日 オーナーのアルバムからここに残します

祖母が大切にしていた写真

はとこに、祖母が大切にしていた《はとこのお父さん》の写真を渡しました。

37歳で逝去した《はとこのお父さん》の若いころ、飛行機乗りの写真です。
普通、この時代の写真は正面を向いたのが多いのですが、ちょっと気取ったアングルでいいでしょう。

松野しげる 飛行機

今日は《はとこのお母さん》の告別式でした。寂しくなった《はとこ》へのプレゼントです。

写真って面白いね、時が経つほどに大切になる...。

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日本で一番おおきなホームラン

只今、元気なうちにと整理中!
整理の原則は、使ってないものは捨てる!とか。
でも捨てられないものってありますよね。

昨日は久しぶりに野球、WBCをみました。
日本で一番おおきなホームランを打ったのは誰か知っていますか?
《中西太》さんです


中西 太(なかにし ふとし、1933年4月11日 - )は、香川県高松市出身の元プロ野球選手(内野手)・監督、打撃コーチ。
現役時代は数多くの伝説を残す強打者であり、現役引退後は数多くの打者を育て上げた名コーチとして知られる。愛称は「太っさん」。あるいは「太」。
高松第一高等学校時代は本塁打を量産し、「怪童」といわれていた。
1953年8月29日、対大映戦(平和台野球場)で林義一投手から放った打球はライナーでバックスクリーンを優々と越え、場外の福岡城址まで届いた。推定飛距離は160m以上で、プロ野球最長飛距離の本塁打、また福岡城址は「外野スタンドから更に50m先」にあるため、180〜190m近く飛んだ可能性もあると言われており、まさに球史に残る大ホームランであったとされる。(wikipediaより)

中西太さんのお母様と母は日赤の二人部屋で同室でした。姉(オーナー)がすでに嫁いでいたので、夜は隣人を起こさないよう、母の手と私の手をリボンで繋ぎ寝ていました。
ある日、私が野球部のマネージャーをしてる事を知ると、付き添いのご褒美に『息子のサインボールもらってあげようか』と言われ、後日、手渡してくれたのがこれです。

IMG_0214.jpg

中西太さんのお母様は行商をしながら中西太さんを育てた方です。すでに腹水も溜まっているようで、個室に入らないのかなと思っていた私に、母から『なるだけ息子さんの世話にならないようにと思っているような』と聞きました。
いつまでも息子思いの、素朴で誠実なお母様でした。

中西太さんのお母様から頂いたサインボールは捨てられません。
写真をとるため、あわてて磨きましたよ


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エルメスのラジオ?

これって、エルメスのラジオ?
ネットで調べると、たしかに
 エルメスは〝HERMES〟

『すごい! エルメスのラジオやあー!』



でも、違ってました
ある日、このラジオの会社の方(大阪変圧器株式会社:現在はダイヘン)が訪ねてこられて、
〝ヘルメスのラヂオ〟なんだそうですよ
そのとき、珍しい広告用のカードもいただいたそうです。
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前店舗であった築155年くらいの多川家には、今みると面白いものがあります。
ご先祖様に失礼のない程度にご紹介しますね。お楽しみに


追記:《ダイヘン》を調べると、今は工業用ロボット等をつくって頑張ってる会社でした。

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表が圓で、裏がドル、不思議な銀貨???

オーナーから、たがわ家にある不思議な硬貨を見せられました。
表が圓で、裏がドル???

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これは、貿易銀(ぼうえきぎん、Trade Dollar)とわかりました。19世紀後半に、アメリカ合衆国、日本およびイギリスにおいて通常の大型銀貨とは別に特に貿易取引専用として発行された銀貨です。

たがわ家にあるのは、《イギリスの貿易銀》です。

調べると推理を解くようにワクワクします。

中国は1840年から始まったアヘン戦争の敗戦の結果、香港をイギリスに割譲し多くの港を開港することとなりました。イギリスの貿易商らが香港に集中することになり貿易港として栄え、中国の絹、茶および磁器の代金支払いに貿易銀が用いられていました。
裏面には漢字で「壹圓」、さらにマレー文字が表記され、当時主に銀貨が流通していた東洋で貿易取引に使用することを前提とするものでした。製造地は主にインドのボンベイおよびカルカッタであり、1925年および1930年のみロンドンで製造されています。1937年8月1日にイギリスの貿易銀は廃貨となりました。(Wikipediaから)

1925年製造なのでロンドンで製造された銀貨です。
イギリスから貿易に使われ、誰の手から誰の手へ?
 ロンドン、香港、中国、日本、四国、香川、屋島村まで.....
銀貨をながめ、しばし想像の世界で遊んでみました
面白がってると日付が変わってました!疲れた


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【茶房たがわ】じゃありません(*^-^*)

【茶房】の意味は
紅茶・コーヒーなどを飲ませる店。喫茶店

【茶坊】の意味は
通行人に茶菓を売って、休息させた路辺の小店。茶店(ちゃみせ)。

よく水戸黄門なんかで、でてくる茶店が【茶坊】です

《たがわ》は、両親が他界し、住むひとが居なくなった築130年の家を改装して始めたお店でした。
お店の感じが、喫茶店というより、
ゆっくりと休息していただく茶店のような感じ、
ということで、《茶坊たがわ》としたそうです。(オーナー談)


国道沿いの元は喫茶店だったお店に移転してからも、
写真をみながら、ゆっくり休息していただける茶店でありたいと思っています。
今後ともお引き立てのほど、よろしくお願いいたします。


↓旧店舗(2009年5月)
のれん

↓かって、義兄がいた場所
郵便局を退職し、接客とは無縁だった兄が一生懸命にコーヒーをいれていた場所です。
とても美味しいコーヒーでした(2013年4月)
IMG_0352.jpg

↓止まったままのゼンマイ時計(2013年4月)
(お詫び:画像が上書きされて、この画像はなくなりました)

↓そして、変わることなく季節を告げる庭(2013年4月)

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《たがわ家の大切なもの》第3弾 「時計」

しばらく写真展のご案内が途切れてるので《たがわ家の大切なもの》第3弾は「ふるい時計」です。
ちなみに第1弾はヘルメスラジオ、第2弾が貿易銀でした。

オーナーが大事そうにかかえてきた
時計です。

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一緒にあった道具の箱書きをみると
「文久3年 癸亥(みずのとい、きがい)5月下旬」とあります。
癸亥(みずのとい、きがい)は、干支の一つです。
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文久(ぶんきゅう)は、1861年から1863年までの期間を指します。この時代の天皇は孝明天皇。江戸幕府将軍は徳川家茂です。

文久1861-1864 | 元治1864-1865 | 慶応1865-1868で江戸時代が終わり
明治1868-1912 | 大正1912-1926 | 昭和1926-1989 | 平成1989-と移っていきます。

文久3年5月にあったことは
長州藩が下関で外国艦隊に砲撃を行う。
7月 薩英戦争。
8月 京都で八月十八日の政変が起こる。

八月十八日の政変とは、江戸時代末期の文久3年8月18日、会津藩・薩摩藩を中心とした公武合体派が、長州藩を主とする尊皇攘夷派を京都から追放したクーデター事件である。文久の政変、堺町門の変とも呼ばれる。(Wikipediaから引用改変)

また、京都・壬生に詰めていた新選組の前身「壬生浪士組」に、会津藩主で京都守護職の松平容保から会津藩預りとする連絡が入り、新選組が正式に発足したのも1863(文久3)年です。

ちょうどHNK大河ドラマ“八重の桜”では市川染五郎が孝明天皇を演じていて、この前ドラマでは崩御されましたね(慶応2年)。これからのことは、日曜8時の“八重の桜”でごらんくださいね

この時計、
日本が大きく変わっていった、激動の時代を刻んでいたんですね
記事を書きすすめながら、ワクワクしました面白がってたら長くなって、すみません。


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息子の無事と成長を祈る「5月飾り」

「茶坊たがわ」を第二の人生にと二人一緒にはじめたのに、姉を置いて義兄が旅立った日がまためぐってきました。

あれから5年
それまで接客とは無縁だった義兄が姉と一緒に、生まれ育った古民家を改装してお店をすると聞いた時は、もうびっくり!
今にして思えば、義兄はお茶人でもあったから「一期一会」のおもてなしの心でコーヒーを入れていたのでしょう。

↓2007年6月29日讀賣新聞「週刊さぬきネット」掲載
読売550

記事のとおりだと旧店舗だった古民家は推定1857年(安政4年)築だったようです。
安政5年(1858年): 大老井伊直弼による反対派弾圧が始まる(安政の大獄)
安政7年(1860年): 大老井伊直弼が江戸城桜田門外で暗殺される(桜田門外の変)

慶応4年(1868年)鳥羽・伏見の戦いで幕命を受けて出兵した高松藩は朝敵となったが、藩主の叔父である松平左近が抗戦派を抑え、戦わず家老2人を切腹、12万両を差し出すという屈辱的恭順案をのみ高松藩を焦土とせず明治を迎えました。

安政 | 万延 | 文久| 元治| 慶応 | 明治 | 大正| 昭和| 平成と続いたその古民家に、管理人が先日寄ってみると5月飾りがそのままありました。

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時を経ても、息子たちの無事と成長を祈る想いが脈々と伝わってくるようです。


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昭和8年の高松住宅明細地図

高松市の岩佐仏喜堂さん(仏壇仏具屋さん 創業 : 明治5年)で、「昭和8年の高松住宅明細地図」を配布するイベントが11年前にありました。

お一人様一枚の限定配布、オーナー(姉)が並んで1枚GET!
後日もう一度お店に行って、その時は地図を購入し、もう一枚GET!

そして姉が管理人(妹)にくれたのが、この一枚です。
そこまで姉が頑張ったのは、そこに今はなき我が家が載っていたからだと思いました。

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68年前の7月4日、高松空襲がありました。


高松空襲は、第二次世界大戦中の1945年(昭和20年)7月4日の午前2時56分から午前4時42分にかけてアメリカ軍により行われた香川県高松市に対する空襲(戦略爆撃)である。この空襲ではアメリカ軍の爆撃機・ボーイングB-29およそ116機が用いられ、爆撃を受けた高松市では空襲警報が解除された後の不意打ちであった。
午前2時56分から同4時42分まで、焼夷弾などの爆撃を続けた。
投下爆弾/高性能爆弾24t(97個)・焼夷弾809t(9万8,062個)であった。

火の海となった中、祖母は母とともに逃げ、小学校のプールの中に入ると、すぐお湯のようになり、このままでは死ぬと、祖母の姉が嫁いだお寺(栗林公園に隣接したお寺なので被災から免れた。栗林公園は爆撃対象から除かれたのかな)にまで逃れたそうです。

この地図は焼ける前の高松市街図です。我が家と、近くにはライオン館、今とだいたい同じ場所に三越デパートがあります。
市街地の約80%が焦土と化し、1359人が死亡しました。

戦争は、日々を懸命に生きる人々を奪いつくしました。

もうすぐ選挙、愚かな指導者を選ばない権利が私達にはある...


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家族の一枚

〖開催中〗
◆7/9~7/15 「二科会写真部 香川支部写真展」(詳細はこちら
◆7/3~7/31「風景写真展 photograph by 山本弘文」(詳細はこちら
◆7/1~7/31「茶坊たがわ 5周年記念写真展」(詳細はこちら



今日はeラーニング(社会人の学びなおしニーズ対応教育推進プログラム)の受講が滞っているので
「さあ!今日は勉強! ブログは休み!」と思っていたら、思いがけない展開に

FC2ブログ「デジタル彩色写真館」のjun72dtさんに
《ジブリ作品の色彩をすべて担当されている保田道世(やすだ みちよ)さんの「ジブリ色」についてのお話し》に私も感動したことをお伝えすると、

6月16日の記事の「昭和16年 祖母33歳、母13歳の写真」
のレタッチをしていただけると嬉しいご提案がありました。
IMG_20130616_0001 - コピー

この写真は絹目写真でかなり難しいレタッチらしいのです。(素人目にもわかりました)
レタッチの修復過程を一部公開されていますので、ごらんください
こちら7/13の記事です。
修復できれば、着物の色は可愛い色にしていただけるそうなので楽しみです

jun72dtさんに見ていただいた、もう一枚の写真
↓「昭和19年 祖母36歳、母16歳の写真(栗林公園内 岩佐写真館)」
昭和19年20130713 - コピー2

高松空襲で写真は焼けてしまったのですが、被災しなかった祖母の姉が保存していた写真が残っていました。祖母の姉は子供がいないので、母の写真を大事に持っていたようです。

昭和19年 母は夏服です。翌年の夏は空襲で家が焼かれ、祖父の死と激動の時代を二人で生き抜くことになります。
穏やかな写真を見てると少し胸が痛くなります。

jun72dtさんはどんな彩色をされるのかな・・・


明日はブログをお休みして、eラーニングです! あとで確認試験もあるので、まじめに取り組まないとね。いやだなあ~


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デジタル彩色写真館Jun72dtさんからのプレゼント Part 3

「生きるために」

戦後、母は生きるために紳士服を作る所で働き、縫製を覚えたそうです。
先月はじめて、姉(オーナー)から聞いた、「生きるために」という言葉。
祖母が「沢山残っていた兵隊さんの服を解いて仕立て直すのに、夜中までしていて、可哀想だった」と言っていたのを思い出しました。

母の戦後を知る1枚、
公開の日は、やはり今日だとアップします。

オーナー(姉)が大切にしている写真を、“デジタル彩色写真館”さんに彩色していただきました。

Part 1 昭和16年  母13歳→こちらをクリック
Part 2 昭和19年夏 母16歳→こちらをクリック
Part 3 昭和25年夏 母22歳 オーナー(姉)2歳
姉 屋島にてIMG_20130717_0001 - コピー

↓モノクロ修復
茶坊たがわ様3枚目(モノクロ) - コピー

↓カラー修復彩色
茶坊たがわ様3枚目色調整(カラー2) - コピー

少女がたくましい母親に変わっています。
後ろにいるのは祖母の姉
栗林公園に隣接するお寺、観興寺に嫁いでいます。
空襲の日、祖母と母はそこまで逃げて助かりました。
下駄をはいてる女性は、そのお寺にいるお坊さんの奥様。もう一人の方はお寺のお手伝いに来ている女性。
場所は《屋島》です。女木島も見えます。
たぶん厄除けになるという『瓦投げ』の場所。
「獅子の霊巌展望台」から海に向かって投げます。
(瓦は土でできているのでまた土に還ります。)
「屋島観光のHP」からの画像です→こちらをクリック 。同じ場所です。
写したのは屋島寺の方らしい。

姉(オーナー)の話
「戦後の貧しい時代、まだバラックの家があった時代だったのに、この綺麗な服はお母ちゃんが縫ってくれた。カーテン生地だったか・・・」

カーテン生地!
“風と共に去りぬ Gone With The Wind”にもそんな場面がありましたね.

そしてラストは "After all, tomorrow is another day."
「明日という日がある」
68年前の8月16日は、戦後初めての朝を迎えた日
希望をたくしてこの写真を送ります。

“デジタル彩色写真館”さん(こちらをクリック)、ありがとうございました


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イブ


《イブ》はたがわ家の猫 20歳のおばあちゃん猫です。
すて猫だったのを、長女が連れて来て20年。
オーナーのよき相棒だったイブが、
先日、虹の橋に行ってしましました。

確か、ピンボケだからとボツにした《イブ》の写真!
オーナーが携帯で撮って送ってきた写真!
どこかにあるはず。

ありました!

イブちゃん120603_205328 - 350

独りで逝かず、オーナーが帰るまで頑張って
『ニャー』ってオーナーを呼びに来て、そっと逝きました。

ボツにした写真なのに、フォルダに見つけた時は泣けて・・・

あなたを信じ切って見つめてくる、まっすぐな瞳。
お別れしたあの日から、ずっとずっと片時も忘れることの無かった
愛しいその瞳を。(作者不詳「虹の橋」から)


「虹の橋」は管理人がペットロスになった時に出会った詩です。
天国とこの世をつなぐ橋のたもとで、待っていてくれると思うと救われました。

心配した管理人が「めだか飼う?」と言ったら、
誰かも同じことを言ったと、呆れられた。

イブちゃん、オーナーは大丈夫です。

ピンボケでも、かけがえのないその一瞬が写真なんだね。


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ヘルメスラヂオ


『お店に飾ったら』と言ってくださったブロ友さんがいらして、
嬉々として、お店に飾りました~

《ヘルメスラヂオ》です

エルメスのラジオかと、大騒ぎしたラジオです。


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《ヘルメス(Hermes) No.4 ステージ型 大阪変圧器(株) (1936年) ¥26.00》
日本楽器製(今のヤマハ)の非常に凝った上質なキャビネットに納められています。(日本ラジオ博物館→こちらより引用) 

この時代のラヂオの普及率は、「全国平均では1932年にやっと10%を突破した程度」だったそうです。

<物価の目安> 1933年(昭和8年)
小学校教員の初任給55円、鉛筆1本3銭、タバコ(ゴールデンバット)1箱7銭、もりそば1杯10銭


なので26円というのは、当時としては高価な物だったんですね。

オーナーがお店の紹介でテレビに出た時、ラヂオの存在を知った会社の方が訪ねてこられて、もう殆ど残っていないそうなんです。
その時、珍しい広告用のカードもいただきました。カードも一緒に飾っています。

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ふる~いもの、昭和レトロがお好きな方はぜひどうぞ。
壊れてて音はでませんが、
見てると懐かしい音が聞こえてきそうですよ


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高松空襲のこと

《写真日記》

この記事を書いている7月4日は高松空襲のあった日です。

戦後70年、いつも聞いていた祖母の話、
ものすごい数の焼夷弾がふってきて、まわりはすぐ火の海、逃げこんだ小学校のプールの水が熱湯となり、「このままでは死ぬ」と出て、大叔母のお寺まで逃げのびて助かったそうです。

IMG_09052015.jpg



高松空襲shikoku_02_001
昭和20年7月4日午前2時56分, 突然空襲が始まり, 10分ぐらい経過したときには, 高松市の中心部は火の海となっていた。それでもB29による爆撃は, 執拗に続けられ, 爆撃が終わるまで106分を要したという。
このとき投下された爆弾は, 高性能爆弾24tと焼夷弾809t(100m2当たり約2.7kg 焼夷弾8個平均)というものすごさであった。
出典:総務省ホームページ (➡こちら



わずか106分の空爆で、
•罹災者/86,400人
•死者/1,359人
•負傷者/1,034人
•行方不明者/186人

当時4歳だった娘の知人は、今も怖かったことを覚えてらっしゃると、
語る人も少なくなった今、
平和への祈りをこめて綴らせていただきました。


↓2015/7/3 カフェ・セゾンにて
IMG_0872.jpg

Imagine there's no Heaven
It's easy if you try
No Hell below us
Above us only sky
Imagine all the people
Living for today...

Imagine there's no countries
It isn't hard to do
Nothing to kill or die for
And no religion too
Imagine all the people
Living life in peace

想像してごらん 天国なんて無いんだと
ほら、簡単でしょう?
地面の下に地獄なんて無いし
僕たちの上には ただ空があるだけ
さあ想像してごらん みんなが
ただ今を生きているって...

想像してごらん 国なんて無いんだと
そんなに難しくないでしょう?
殺す理由も死ぬ理由も無く
そして宗教も無い
さあ想像してごらん みんなが
ただ平和に生きているって...

Imagine / John lennon - 管理人(デイオフィス)の音楽室 -から



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ありがとうございます。
 

ライオンがいた!


今日は、「迎え日」 
ご先祖さまが帰ってくる日です。

先日、12年前に亡くなった祖母が話してくれた「お話」を思い出しました。
祖母によると「ライオン館のおばあ(御婆)が、ライオンを飼っていた」というのです。

↓戦前の地図
IMG_0588 - 201307

たしかにWikipediaみると

ライオン館は、かつて香川県高松市にあった映画館である。
1922年(大正11年)8月1日、矢野米により開館した。同館の名称は、矢野米の夫である矢野庄太郎が経営し、成功を収めていた矢野サーカスのライオンにあやかって付けられた。このため開館初期は本物のライオンの展示も行われている。
1999年11月5日に閉館し77年の歴史に幕を閉じた。



それでもなんとなく違和感のある話でしたが、先日、向田邦子さんの「眠る盃」を読んですごく納得しました!
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「中野のライオン」
私が見たのは、一頭のライオンであった。お粗末な木造アパートの、これも大きく開け放した窓の手すりのところに、一人の男が坐っている。三十歳位のやせた貧相な男で、何度も乱暴に水をくぐらせたらしいダランと伸びてしまったアンダー・シャツ一枚で、ぼんやり外を見ていた。
その隣にライオンがいる。たてがみの立派な、かなり大きい雄のライオンで、男とならんで、外を見ていた。 



20年後、向田さん以外の人には見えていなかったそのライオンと男の話をエッセイで発表するとこのライオンの飼い主が現れます!
そのライオンは雄ではなく牝でしたが。。

牝ライオンは、名前をロン子といった。はじめは猫ほどの大きさだったが、見る見る大きくなった。今ほど猛獣を飼う規制はやかましくなかったが、それでも一目があるので、滅多にガラス戸を開けたことはなかった。



↓これは「GATAG|フリー画像」から
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向田邦子さんは昭和4年生まれだから、戦後しばらくのお話のようです。

祖母が話していた、商店街でのライオン、確かにいたんですね!
おばあちゃんに話さなきゃ(笑)

今日は、お盆の入り、大切な人をお迎えして、どうぞ積もるお話をしてくださいね



↓檀那寺である法恩寺のご住職のコレクションから
 映画館の中に掲示するためのスチル写真
 「ローマの休日」の1シーンで~す♪
 クリックすると大きくなります!
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ありがとうございます。
 

ひとやすみ -からたち-


今日お届けする一枚は、
女子力では、カメラ女子達にも負けないオーナーからの一枚です。
携帯から送られてきました~(^^)/
DVC00010201511291649.jpg


東側の席は外の日差しを和らげるシェードがあります。
そのシェードに飾られた「からたち(枸橘  Orange jasmine)」の一葉だけが光で一瞬 赤くなったそうです♪


「目の前の興味をそのまま写し取る。スマホで表現できる領域はさらに広がっている。」
と奈良巧さんは言っています。


註:奈良巧(1958年生まれ。出版社勤務を50歳で退職後、奈良巧事務所を設立。週刊誌、月刊誌のフリー記者・カメラマンとして活動。 )


いつでも持っているからこそ、
構えずに撮れる一瞬の面白さってありますね♪




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いただいた苺もスマホで(^^)/

記憶

《私語》

今年は2度、アルバムから写真を選びました。
一度は父を送るため

こんどは娘の慶びの日のために

↓小学校までのアルバム
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このあと、アルバムの数はデジタルになって、すっかり減ってしまいました。


↓木造時代の職員官舎にて、オーナーと管理人の娘たち3人
 たぶん岩瀬尾八幡宮の秋祭りで買ってもらったお揃いのおもちゃで遊んでいる♪
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不思議ですね、
写真をみてると
ずっと記憶の底にあったあの日が すぐに戻ってきます。




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今日のバナーは今、家にいる娘5歳(笑) ストーブの前を確保しています(@_@)

◆奉公さん


今朝の四国新聞の第一面は「幸福のレシピ」の総集編でした。

年齢を重ねた人ほど幸福度が高いという結果になったそうです。
「幸福度は40代、50代と低下するが、60代から急上昇して70代はもっとも幸福度が高かった。」

先日、テレビのインタビューのこと、
熊本地震で被災した小学生と思われる男の子が
「普通にくらせることが しあわせだったんだと わかった」と。

幼さの残る顔から出る言葉に 胸が痛くて

もしかしたら年齢を重ねるほど幸福度が高いのは
普通にくらせることの幸せを知るからかもしれません。

↓昨年オーナー(姉)から贈られた「奉公さん」
20160422000001410329.jpg


讃岐の風土から生まれた、素朴で温か味のある和紙の張り子人形。
奉公さんは、「子供の守り神」です。


少年の日常、
被災された方々の日常が一日も早く戻ることを祈って




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ありがとうございます
今日のバナーは我が家の日常
姫シャガ(姫著莪)の花が咲きました
花言葉は「お友達が多い」


【閉店までのカウントダウン 64日】

拍手コメントありがとうございます。
非公開コメのお礼は記事内に書かせていただきました。
◆17:33のBさまへ :テレビでは被災された方の、これからの住まいについて報道しています。安心して生活できるよう祈るばかりです。(UP)

菊の紋章が入った招待状

香川を離れるため、家の整理をしている姉から、
黄ばんだ封筒を渡されました。

「菊の御紋が入ってるしね、大事にしまっていたみたいな、、、このまま捨ててしまうのも気が引けるので、みてくれる?」
20160831_213040-1-1.jpg

↓招待状
IMG_20160831_0001.jpg


渡されたものの、、、
まず、よめない漢字を調べるとこからはじまりました(^_^;)

てがかり:
兵庫県神戸饗饌塲(きょうせんじょう)➡きょう せん 【饗 饌】というのは「もてなしのための膳。ごちそうの膳。」

「兵庫県神戸饗饌塲」で検索して何もでてきません、、、

宮内大臣 一木喜徳郎(いちききとくろう)➡(1867~1944) 政治家・法学者。静岡県生まれ。東大教授。岡田良平の弟。第二次大隈内閣の文相のち内相となり,その後も宮内相・枢密院議長などを歴任。天皇機関説を唱え,二・二六事件後すべての官職から引退。のち大日本報徳社社長。

↓会場の地図
IMG_20160831_0002.jpg

会場の場所は二宮町1丁目、県立神戸第一中学校内とある。
↓今の二宮町1丁目


兵庫県神戸尋常中学校 → 兵庫県神戸中学校 → 兵庫県立神戸中学校 → 兵庫県立第一神戸中学校 ⇒ 兵庫県立第一神戸高等学校 → 兵庫県立神戸高等学校

兵庫県立神戸高等学校というのは、県下有数の進学校であるそうです。


よくわからないまま検索していくと、
とうとう全く同じ招待状を見つけました~(^^)/

➡こちらです!

昭和大礼・地方賜饌式
 昭和3年11月10日に京都御所紫宸殿において挙行された昭和天皇の即位の大礼に際し、山梨県における地方賜饌が同年11月16日に舞鶴公園(甲府城址)おいて行われた。



昭和天皇の即位の大礼に際しての、兵庫県における地方賜饌、
神戸農林技師であった義兄のおじいさまへの、祝宴への招待状でした。

きっと名誉なことだったので、大事にとっておかれたのでしょうね。
こうしてWebに残し、皆様にみていただくことで生き返りました♪

おつきあいいただき ありがとうございましたm(__)m




2016090800000909.jpg
「観興寺にて」
先日は姉がお別れを言いたいと大叔母(祖母の姉)が眠るお寺に行ってきました。家屋は大叔母が住んでいた時のままでした

今日は多川家のご先祖様にお別れを言いにまいります
この招待状の持ち主にも

お店は2016年6月28日に閉店いたしました ご愛顧ありがとうございました

住所:高松市牟礼町
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オーナーの妹で写真初心者です。さぬき市多和でNPOの仕事もしています。
写真は、お料理を撮るためにはじめました。